Monday, October 31, 2016

ハンセン病隔離政策を生き延びる在日朝鮮人の金泰九さん:An Ode to Zainichi Heroes

Note to readers: We apologize that this post is only available in the original language (Japanese) of the author at the moment. The life of Mr. Tegu Kim, to whom the tribute below, offers a glimpse into other faceless, nameless Zainichi victims of Japan's legacy of forced permanent quarantine/isolation (akin to lifelong imprisonment without parole) of those affected by Hansen's Disease since early 1900s through as recently as the '90s (inspired by the Eugenics ideology that prevailed even following WWII and defeat of Imperial Japan). If you are interested to learn more, we are happy to share our resources on this matter or the life of Mr. Tegu Kim.

金泰九(きむ・てぐ)さんは、20代で発病した。その時彼は、大阪市立大学生。
結婚もし、大阪で餃子屋さんを経営して、とても繁盛した。
長身と、男前、頭脳明晰、経営力有りで、順風満帆の生活を送っていた。

栄養不足の状態も、発病の原因と言われているハンセン病は、生活苦に追い込まれた、在日朝鮮人、被差別部落民等に多く襲いかかったのではないかと考えた私は、ハンセン病療養所を尋ねた。

その中で出逢った一人が金泰九さんだった。

彼は、皇室が大きく後押しした、無ライ県運動場の中で強制的に岡山県の療養所に送られた。
大阪に残された妻は、自殺した。
施設は、当時でも粗末だった。現在撤去され、歴史が埋没される危機に直面している。

彼は、ハンセン病療養所の中で懸命に生きた。

ハンセン病隔離政策の第一人者、光田けんすけ医師が、園長を務めていた。

光田に対する、元患者の捉え方は、今も真っ二つに別れている。
光田のお蔭で、生きてこられたと、屋根付きの銅像に手を合わせる人々も少なくない。

金泰九さんは、入所当時から、光田の優勢思想を見抜いていた。

光田は、自分や、自分の妻にまで、ライ菌を注射し、ハンセン病は、移らない事を知りつつ、完全隔離を国会で提言し、反抗する患者に対する懲罰規定を設けさせ、全国の療養所に懲罰房を作らせた。

療養所とは、名ばかりで、強制的に入所させられた患者たちは、すぐさま、療養所の建築、整備作業、重傷者の看護等に駆り立てられた。食べ物も少なく、自分たちで魚を捕り、木を切って焼いた。枝を一本切っただけで、懲罰房、そして、罰則としての断種がされた。

金泰九さんは、光田をはじめとする療養所の不当な対応に抵抗する運動の先頭に立った。この闘争はハンセン病療養所の歴史に名を残す出来事だ。
 
金泰九さん
 

金泰九さんは、無知な私に、夜が更けるまでお話しして下さった。内緒の話しも沢山して下さった。
大田さんが出した写真集の中で、若き日の金泰九さんを見つけ、電話すると、「よく、わかったね」と、ゆっくりとやさしさと深さを感じる、いつもの声でおっしゃった。

私は、「金泰九さんは、もし、ハンセン病に、なってなければ、男前の長身で、エリートの金持ちやから、女たらしの、成金野郎になってたと思うわ」という、とんでもない失礼なことばにさえ、温かい笑い声をくれた。

ゴマの葉が大好きで、お刺身に朝鮮の酢味噌をつけて、食べるのも好きだ。

いつも時間に遅れる私を、心配しながら、待っていてくれ、いつもより遅めの昼食を食べる。

講演会に出掛ける事も多く、背筋のシャキッと伸びた彼のジャケット姿は、出逢った頃の70代から今も変わらずカッコイイ。着替えを手伝っていた時、黒い靴下の下に白い靴下を見た。「皮膚の表面に感覚が無いという、ハンセン病の後遺症で、固いものを踏んでも分からなくて、そのままにしておくと壊死するから、血がわかるように白い靴下を履くんだ」と。

80歳を祈年に自叙伝を出された頃、火傷で手の指を何本も切断する手術をうけた。療養所の水道からは、熱湯は出ない。なぜ?と私は、思った。

私は泰九さんの所に行って聞くまで分からなかった。

お客さんにお茶を入れてくれるポットだった。
ポットのお湯を入れ換える時、熱湯をかぶった。

はぁー。ため息。

分からなかった私も私だが、そんな事、予想出来たはずだ。どうして療養所は、ポットのお湯の入れ換えは職員がすると決めていなかったのか!

あれから10年、10月18日(郷ひろみと同じ)、90歳になる前日に、金泰九さんは、重病者病棟に入られた。
お昼寝する金泰九さんと添い寝する著者 

沖縄の高江では、リーダーの博じいが、不当逮捕された日。
私の中では、リンクする。

泰九さん、まだ逝かないで下さい。
近いうちに、また逢いに行くよ。ゴマの葉と、刺身と、酢味噌持って
 
 
岸本眞奈美 (きしもと・まなみ)
兵庫県生まれ育ち。被差別部落解放運動に鍛えられ、理不尽を糾弾し、正義と勝利を自ら勝ち取る戦いを実践を通してまなぶ。
草の根の当事者らによりそい、根付いた人権・反差別運動に幅広く携わる。エクリプス・ライジングの訪日や、日本での活動を定期的にサポートしている同志でもあり、日本での解放運動の大先輩でもある。今回は、金泰九さんが危ないという連絡を(2016年10月半ば)受け、ぜひとも彼の生きた存在、意義、そして我々在日の歴史を残そうと、寄稿をお願いした。